英語教師の罪

英語が苦手な子

こんにちは、149teacherです。
今日は仕事がお休みでしたので、長男(高1男子)のサッカーの試合を見に行ってきました。この暑い中、よくまああれだけ走り回れるな、と感心しながら、晩ご飯にガッツリと肉料理でもしてやろうかとレシピを調べています。

私の勤めている塾では、夏休みも半分消化。間もなくお盆休みを迎えようという時期です。夏休みなので、普段より子供と接する時間が多くて、大変ではありますが中々楽しい時間を過ごしています。

子どもたちの勉強を見ていて、とてもつらい気持ちになるのが英語が苦手な子どもです。

私自身が主に文系科目を担当しているので、「英語が苦手」「英語、嫌い!」という子どもに会うと、とても申し訳なく思ってしまいます。

学校では、主要科目として英語(外国語)は数学や国語と並んで重要な教科に位置付けられています。お母さん方の中にも、英語が楽しくて得意だった人もいれば、今一つ面白くなかったと思っている人もいるかと思います。

良く言われていることですが、私たち日本人は英語があまり得意ではないとされています。
インターネットで検索してみると、日本人が英語がいかに他の国と比べて英語の能力が低いか、そしてその原因は何なのか、といった内容の記事がたくさん出てきます。

私も、それなりに多くの記事を読んでみましたが、正直、自分の考えと一致するものはあまり見つけることができませんでした。

苦手の原因を作っているのは

私は、日本人が英語が苦手な主な理由は英語教師にあると確信しています。

どういう事かと言うと、英語の教師が「私は英語ができるんですよ!」と妙なプライドを持って子どもに接していることが諸悪の根源だと思っています。

私は外国語大学で中国語を専攻しました。そりゃぁ、大変でした。毎週何ページものテキストを暗唱して、50歳に近くなった今でも、留年してしまいそうだ!という夢を見ることも正直あります。4年間、中国にどっぷり浸かっていました。

そんな学生時代のある時、国連職員の採用条件を調べたことがありました。いまは違うかもしれませんが、国連の職員に応募するための最低条件として以下の学部を卒業した者は対象にならない、とされていて、その学部とは確か、

「芸術系、体育系、外国語系」

となっていたように記憶しています。

ガーン、とショックを受けました。外国語は「学問」ではなかったのです。その当時は結構凹みましたが、後々になって、じわじわとその意味が分かってきました。

語学とは言いますが、外国語の能力は学問ではありません。

語学は「学問」ではありません

確かに、言語学などの専門分野については、間違いなく学問であろうという思いはあります。
でも、その言語を自在に操ることができるというのは、やはり「学問」ではありません。「技術」、「ツール」です。
大切なのはそのツールを使って、他人(外国人)と円滑なコミュニケーションをとることです。

「言語」自体は何なるツールなのです。

外国語(英語でも中国語でも)を使うことができるということは、コミュニケーションをとることができる対象が広がるということです。これは大変すばらしいことですが、それ以上ではありません。自分が伝えたいことがないのであれば、コミュニケーションをとる必要はありません。また、コミュニケーションが取れたところで、その経験を生かす知力がなければ、ただの宝の持ち腐れです。

私は、語学はこの程度の評価で良いと思っています。

誰だって話せるよ

ですから、子どもたちには「英語はだれでも話すことができるよ。だって、アメリカ人の子どもたちは全員英語を話すことができるのでしょ?君たちだって、今先生が話している日本語を全部聞き取って、理解することができているよね。言葉って、その程度の力なんだよ。君たちは、時々先生が中国語で話すのを見て、面白がって、へぇ~、って感じてくれるけれど、中国語を話す人は世界で10数億人いるよね。だから、先生が、特別な能力を持っているわけではないんだよ。」

そもそも、大変な苦労をしないと身に付けることができないような言語は、とっくに淘汰されているはずです。

英語だってそうです。身に付けることは大したことではありません。私たち日本人が勘違いしているのは、「上手に発音しなければならない。」「文法的に間違ってはならない。」等といった呪縛に囚われているために、思い切って声に出すことができないことで、「英語が苦手」と思っていることなのです。

そして、その元凶は英語の教師です(私を含めて)。

英語の教師は、授業に際し子ども(生徒)に対して、さも偉そうに英語の文法などについて講釈します。自分の威厳を保つために。

そんな授業を日々聞いている生徒は、英語がさも高尚な学問であるかのように錯覚してしまうのです。そして、自分には、そんな高尚な学問は身に付けることができない、と心理的に距離を置いてしまうのです。

本当に、もったいないです。言いたいことが伝わったら良いじゃないですか。
「このバッグを買いたい。」
「あなたのことが好きです。」
「ハンバーガー1つと、コーラを下さい。」
こんな内容を伝えることができるだけで、まずはコミュニケーション成立です。

149teacherは、理系の先生と話をしていると、何とも言えない気後れを感じます。だって、こちらは、何ら普遍的な知識を有しているわけではないのですから。

でも、語学を教えている者には、この謙虚さは絶対に必要だと思っています。

そして、子どもたちが、少々の(文法的な、とか発音上のといった)間違いを恐れずに、「このピザはおいしいですね。またこのお店に食べに来ますね。」といった言葉を口にすることができれば、それで十分だと思います。

自省を込めて、この記事を書きました。
明日から、また頑張って子どもに私のメッセージを伝えます。

広告