こんばんは、149teacherです。
学びを取り戻す
今週も淡々と授業を行っています。
その心は、「何としてでも子どもの学習の遅れを取り戻す」
「子どもの勉強に対するモチベーションを少しずつでも上げていく」
という点に尽きます。
臨時休校の影響で、子ども達の勉強は大幅に滞っています。
お母さん方も、とても心配されているのではないかと思います。
ましてや受験生のおられるご家庭。
「一体、今度の入試はどういう風に行われるの?」
「出題範囲は少しでも減らされるの?」
「我が子の負担はどうなるの?」
一言で言えば、
「うちの子は志望校に受かるの?」
だと思います。
入試ですから、蓋を開けてみなければ分かりません。
それは仕方のないことです。
そして、今年のあまりにもイレギュラーな状態が、お子さんだけに降りかかっているわけではありません。
全ての受験生に対してなのです。
塾の教師としての私は、今年の中学3年生の子ども達に対しても、例年通りのカリキュラムで指導をしてあげたいです。
実際、オンライン授業などを導入しながら、カリキュラムとしては例年通りというよりか、例年以上のペースで授業をこなしています。
この子たちが、大学入試や就職で「コロナ世代」みたいに言われるのは絶対に避けてあげたいと思っているからです。
授業を行っていても、少しずつ子どもたちの表情に「明るさ」が戻ってきています。
対面授業の最大の魅力は、当たり前ですが、教師と生徒が目の前にいる、ということです。
学力の高い子どもも、勉強に苦しんでいる子どもも、表情を見れば今何に困っているのかを把握することは難しくありません。
1人ひとりの子どもたちの表情や声色を確認しながら、授業を進めていきます。
そして、タイミングを見計らって、「雑談」、というかブレイク・タイムを作ります。
いくら受験生と言えども、40分~50分の間、集中力を高め続けた状態で授業に参加することは難しいです。
ですから、私は教室の空気を読みながら、適度にブレイク・タイムを作ります。
いわゆる「雑談」です。
「塾で雑談なんかする必要はない。」
「しっかりと勉強だけを教えてくれれば良いんだ。」
というご批判はあるかと思いますが、私はこのブレイク・タイムは必要不可欠だと思っています。
もちろん、授業自体はかなりの緊張感で進めていきます。
もしかしたら怒られるかも知れませんが、
「君たち、そんな中途半端な気持ちでいたら志望校に落ちるよ!」
「君のようないい加減な姿勢の受験生は、先生は応援しないからね。」
位の事は言います。
だって、全員に第1志望校に受かってほしいですからね。
でも、相手はまだまだ人生14~15年の子どもです。
圧をかけてばっかりでは、彼らも疲れてしまいます。
そこで、タイミングを見計らって、「雑談」です。
「実は、この間の休みの時に買い物に行ったんだけれど…。」
みたいな感じで、勉強に関係の話をします。
「少し疲れてきたな…。」という、子どもたちは、この展開に気付いてくれて、こちらに視線を集めてくれます。
あ、この状態は、必ずしも勉強が苦手な子どものクラスだけに当てはまるのではないですよ。
むしろ、中々力のある子どもたちの集団に対して効果があったりします。
「しっかりと勉強しなければならない」という緊張感を抱いている子どもにとっても、機を見た雑談は効果的なんです。
そして、雑談を終えると、「さて!」と言って、モードの切り替えです。
皆が気持ちを切り替えて、一心不乱に解答用紙に向かってくれます。
この切り替えの早さは、感動ものです。
本当に、お母さん方に参観してもらいたいくらい。
「そんなに上手くできる?」
「雑談なんてしたら、収拾がつかなくなるんじゃないの?」
と思われますか?
確かにそうですよね。普通に考えたら、折角緊張感のある空気を作っているのに、それをわざわざ壊すようなことをして、逆効果なんじゃないのか、と思われるでしょうね。
でも、ここが正直、「腕の見せ所」何です。
受験生である子どもたちを、私は小学生のときから担当しています。
中には6年間、塾で一緒に勉強している子どももいます。
ほとんど、「親」気分です。
子どもたちのキャラクターは把握しています。
そして、彼らも私のキャラクターを把握してくれています(こっちの要因の方が大きいかな?)。
私の授業が、雑談が多くて、それでも気持ちの切り替えを小まめにしなければついてこれないことを分かっている子どもたちは、私の作った授業のペースで授業に参加し続けてくれます。
人間同士ですからね。
無駄な話も必要なんです。
どうしても、無駄話を続けたければ、授業が終わってから少し残って、私とおしゃべりすれば良いのです。
塾の先生は勉強を教えてくれさえすれば良い、という考えは私は賛成できません。
思春期真っただ中で、情緒不安定な子ども達にとって、寄り添ってあげることのできる大人の一人として、その子に関わりたいのです。
そして、子どもたちは何とはなしに、そのことを理解してくれているようです。
良く知っている「他人」という存在
つまり、塾の先生は子どもたちにとっては
「よく知っている他人。」であるのではないかと思います。
家族ほど濃い関係でもないし、ちょっとした知り合いという遠さでもない。
そして、勉強については色々と手伝ってくれる。
こういう存在なのかな、と思います。
そして、子どもたちにとって大きいのは、
「自分のことをよく知ってくれている他人。」
というところだと思います。
あくまで信頼関係がなければ成立しませんが、私を信用してくれているからこそ
ある意味「無駄な話」をしてくれるのだと思います。
そして、私は彼らの期待を裏切らないように、
時には一緒になってげらげら笑って、
時には真剣な表情で彼らの将来について話を聞いてあげる。
そして、時には彼らにアドバイスをしてあげて、少しでも前向きに日々の生活や勉強に立ち向かう頃ができるようにしてあげる。
無駄話があるからこそ、そこから派生してくる周辺情報が増えてきますし、
無駄話をすることがあるからこそ、子ども達も「少しくらい変な話をしても怒られない。」と
リラックスした状態で、思っていることを口にしてくれます。
家族や友人以外に、もう一つ、「自分の思っていることを、目一杯吐いて、聞いてくれる存在。」
それが私たち塾の教師であって欲しいと願っています。
家族や友人には言えないことも少なくありません。
「こんなこと言ったら、お母さんは怒るかな。」
「いや、絶対ケンカになるな…。」
といったことでも、私たちに一度吐き出すことで、少しでもすっきりしてくれれば嬉しいです。
そのようにして子どもの気持ちを受け止めることができる塾の先生はたくさんいるはずです。
そして、塾の先生を「勉強を教えるだけ」の存在ではなく、
ここまで読んで頂いたような「子どもの話し相手」として認識して下さったら嬉しいです。