一般社団法人 教育のための科学研究所の代表理事・所長をされている新井 紀子さんの著書名で、2018年2月に東洋経済新報社より発行されています。
非常に話題となった著書ですが、ここ最近、改めて注目度が高まっているように思います。
子どもに関わる仕事をしている方々の間でも、大変な話題です。
子どもの「読解力」は、今どのようになっているのか、ということです。
新井さん率いる教育のための科学研究所はRST(リーディングスキルテスト)という基礎的読解力を測定するテストを実施されており、その結果が大変衝撃的なものなのです。
研究所のホームページでは、次のような調査結果が紹介されています。
中学3年生のうち、推論では65.1%、同義文判定では43.7%、理数系の定義を理解できるかを問う具体例同定問題では、実に70.7%の生徒がランダム並み、言い換えると「ほとんどできていない可能性が高い」ことがわかりました。
一般社団法人 教育のための科学研究所 ホームページより
つまり、多くの子どもが教科書の内容を十分に理解することができていない状態である、と考えられるということです。
このような資料もありました。
「同義文判定問題例」(2つの文の内容が同じか違うかを問うものです)
問 以下の文を読みなさい。
「幕府は、1639年、ポルトガル人を追放し、大名には沿岸の警備を命じた。」
上記の文が表す内容と以下の文が表す内容は同じか。「同じである」「異なる」のうちから答えなさい。
「1639年、ポルトガル人は追放され、幕府は大名から沿岸の警備を命じられた。」
この質問に対して中学生(1年~3年)857名の解答は、
- 同じである:約42%
- 異なる :約57% (正解)
と、あります。
ほんの1行の文章ですが、その内容をじっくりと検討して解答した結果、約4割の中学生がこの2文の意味が異なっていることを理解できなかった、という結果です。
日々、塾の現場でも実感しています
私の勤務する塾でも、同じように衝撃を受ける(というか頭を抱える)場面が少なくありません。
子どもが文章を読めないのです。
読もうとしない、のではありません。「読む」ということが理解できていない子どもが相当数いるのです。
お母さんとの懇談などでも、
「先生、うちの子算数なんかも、基本問題の計算はできるのですが、文章題のような「応用問題」になったら全然できないんです。」
という話を何回となく聞きます。
よくある先生の返事としては、
「そうですね、文章題、苦手な子は少なくないです。」
「問題文をよく読ませて、例えばそれを図に表すようなことができると一歩前進するんですがね。」
「できるだけ、そういう「視覚化」する作業をさせるように指導しますね。」
といったところです。
ところが、実際に子どもに文章題を読ませて、その状況を「視覚化」させようとすると、それが全くできない子どもも結構います。
結局、全部先生に助けてもらう
「視覚化」するような作業ができない子、又はしようともしない子は、結局指導者(先生・親)が目の前でお手本を見せてあげて、式を立てるところまでやってあげなくてはならない状況になります。
子どもは子どもで、「ふむふむ」といった表情を見せてはいますが、「先生、ちょっと待って。ここから先は僕がやってみる!」というような積極性を見せる子はいません。
要は、「先生(親)が、やってくれているんだから、このまま全部助けてもらおう。」
という甘い気持ちに負けているのです。
これでは、いつまでたっても自分で解決する力は備わりません。
私は、授業の残り時間を頭に入れながら、ある程度のところで、
一旦その子を見捨てることがあります。
もちろん、そのまま放置しっぱなしではないですよ。
別の生徒の様子を見たりするなどして、少しの間その子を一人にさせます。
そして、その後もう一度その子のもとに行きます。そして、観察。
もちろん、中には計算用紙に書いては消し、書いては消ししながら、一生懸命式を立てようとする子供もいます。
一方で、先ほどから全く手が動いていない子どももやはりいます。
「先生が戻ってきてから続きを手伝ってもらおう。」
と考えているのです。
こういう子どもをればよいのか、顔色一つ変えずにまた手伝ってあげたらよいのか、本当に判断に迷います。
目的は、子どもに自発的に解答させることなのです。
でも当の子どもにその意識が全くないのです。
解けて嬉しいという感情がない
1から10まで手伝ってあげた場合、子どもの反応はとても悲しいものです。
まるで嬉しそうではないのです。
まぁ、自分で苦労した部分がないのですから、嬉しいも何もないのは当然ですよね。
本質的に対処方法を考え直さないといけない
私は、一通りこの話を読んで、
「今までの自分の対処方法や指導方法を本質的に変えなければならない。」
と考えています。
どこまでさかのぼれば良いのかも、正直検討が付きませんが、
子ども一人ひとりの文章読解力を挙げていくためには、一律の指導では無理があると考えています。
私は集団授業型の学習塾の教師です。
集団の中で、「僕も(私も)、皆と同じように頑張ろう。」という気持ちを子どもたちに植え付けたいと考えて続けています。
そのためには、少人数の集団授業という形式が最も子どもの向上心・向学心を高めることに効果があると信じています。
それは、今現在でも変わりません。
でも、例えば中学2年生の子どもが教室に10人いたとして、その10人の文章読解力が
小2レベル~中3レベルだとすると、どのようなアプローチをすれば授業が成立し、個々の子どもに学習効果を与えることができるのか、という命題にあたってしまいます。
解決方法が簡単に導き出せるか?
この問題に対して解決方法が簡単に導き出せるかというと、正直分かりません。
でも、私はこのテーマに正面から向かい合って取り組んでいきたいと思います。
「最大多数の最大幸福」みたいですね。
私のブログでも紹介させて頂いていますが、
このような指導を展開している方々もおられます。
サイト内記事を読むと、ADHDなどの言葉が並ぶので、お母さんの中にはある意味抵抗感を持つ方もいるかも知れません。
でも、考え方を変えると、
「この方法で子どもが文章を的確に読み取ることができる力を高めることができるのであれば…。」
という発想をすることもできるかもしれません。
教育に「正解」はありません。
子どもに対する「教育」に正解はないと思います。
だからこそ、お母さんたちは我が子に対しての「正解」を求めようと苦しむのです。
「集団塾で、皆に影響を受けながら、頑張って壁を乗り越えなさい!」も1つの方法。
「何かしら別の方法で、子どもの力に影響を与えることができる方法を探そう。」も1つの方法。
私は塾の教師ですから、せめてお母さんがこう悩んでいるときに、一緒になって子どものために悩みたいと思います。
もちろん、悩んでいるだけでは解決できませんが、まずはお母さんや子どもと一緒に
「どうしたら良いのだろう。」と、一緒に頭をひねりたいです。
嬉しくない結末ですが、その結果お母さんや子どもが私の塾を離れることを決心されたのであれば、それも1つの方法です。
こんなこと書くと、経営者の方々からは2流教師のレッテルを張られるかと思いますが、私は構いません。
いつまでも「せめてベターな方法」を探そうというお母さんの気持ちが良く分かるからです。