思い出し怒り

「そうなんですか?知らなかった…。」

学校の懇談などでお母さんは先生とお話しします。
ときには耳が痛い話や「知らなかった!」というような話を聞かされることがあります。

例えば、宿題をちゃんとしていない、忘れ物が目立つ、授業中に比較的落ち着きがない…。

お母さんからすると大変ショックですし、ムラムラと怒りが湧きあがってきますよね。

「あの子ったら、私に何も言わなくて…。腹立つわぁ…。」

「こんなに先生に言われて、私が起こられているのと一緒だわ。」

「あの子、帰ったらとっちめてやる…。」

では帰宅しましょう。帰る道すがら、お母さんは怒りが収まりません。

それどころか怒りは増幅します。悶々としている内に新たな怒りが沸き上がってきます。

 

思い出し怒りが発生

ここでお母さんの心の中に「思い出し笑い」ならぬ「思い出し怒り」が生まれてきます。

そりゃそうですよね。母親として一番腹が立つのが、「我が子がちゃんと自分に報告してこない。」ということなのですから。

うちの子、家でも私の言うこと聞かないでゲームばっかりしているし、最近私が何か言ったら「チッ」みたいな舌打ちするし、……あぁ、増々腹が立ってきた…。

「思い出し怒り」のゲージはお母さんの心の中でどんどん上がっていきます。

さて子どもが帰ってきました。

お母さんは「懇談、行ってきたよ。」と切り出します。

子どもはしおらしくしているか、あまりお母さんに目を合わそうとはしまないかのどちらかです。

この辺でお母さんの怒りのボルテージは飽和点を突破します。

ここで、お母さん。一つお願いがあります。

 

「思い出し怒り」を加えないで

懇談で先生に言われた事柄の中に、自分の「思い出し怒り」を混ぜ込まないで下さい。

どういうことかと言うと、こんなセリフです。

「あなた、結構忘れ物多いじゃない。先生、言ってたよ。それに舌打ちしたりして反抗的な態度取っているみたいじゃない。お母さん、話聞いてて恥ずかしかったわ。」…舌打ちは家庭内での行動なんですよね。お子さんは外ではそんなことしていません。

子どもに改めて注意したいことは一杯あると思います。

でもお母さんの中には「懇談での先生の話」として自分の鬱憤を混ぜ込んで子どもにぶつけてしまうことは何としても避けて欲しいのです。

なぜかというと、子どもはお母さんの混ぜこぜの怒りを聞いて「先生がそう言っていたのか。」と受け止めます。

先生に対して不信感を抱きます。

だって舌打ちしてなんかいないのですから。

教師と生徒は当然に信頼関係を築いた上で相対します。

そこに、先生が発言していないことことが入り込むと、教師と生徒の人間関係はギクシャクします。

「先生は自分のことをちゃんと見てくれていない。」

 

私が言ったことになっている?!

私も毎年多くの懇談をしますが、以前、ある女子生徒のお母さんと懇談した後の授業のことです。その生徒が今までになく不機嫌なんです。私に対して。

どうしたのかな?と不思議に思っていたのですが、授業が終わりって生徒が帰るときに話しかけてみると、「先生、昨日の懇談で私のスマホの使い方がひどすぎる。すぐに取り上げて下さいとか言ったんでしょ?」とプンプンなのです。

私、スマホの話は一切していません。

だって、その子、塾ではスマホ触っていませんから。

そしてしばらく考えました。

そして気づきました。お母さんが日頃我慢していた文句を私が行ったことにして娘に伝えていたのでしょう。

この時は、子どもに対して一々誤解を解くようなことはしませんでした。

そうすると今度はお母さんと子どもの関係がおかしくなりますから。

でも、少しの間この生徒と私の距離感は微妙なものになってしまいました。

私は全然平気です。また、その子との距離を縮めていけばいいんです。

そういう作業は得意です。一旦悪者になっても、何とか関係を修復することはできます。

気になるのは親子関係です。

お母さん、お子さんに言いたいことは一杯あるかも知れませんが、そうであるならば、「お母さんはこう思っているんだけど…。」と自分の正直な気持ちをまっすぐに子どもに伝えて下さい。

他人のセリフに便乗し続けていると、徐々に親子の距離感がおかしくなってしまいます。

とてもエネルギーの必要な作業ですが、思っていることはストレートに子どもにぶつけた方が後々の問題はなくなりやすいと思います。

Aさんがあなたに「あのさ、Bちゃんがあなたのことを〇〇って言っていたよ。私はそうは思わないけど、ひどいよねぇ。」と言ってくるようなものなのです。

こういう言葉は、何も生産的なものを産みません。絶対に。

今日は、偉そうに、すいません。



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