私の勤務している塾では、多くのクラスが週2回の授業を行っています。
子どもの表情は、本当にその日その日で違います。
その中でも時折、気になってしまう表情があります。
最近のケースをお話しさせて下さい。
中学2年生の男子。
基本的に真面目な子で、部活動も一生懸命頑張っています。
ただ、優しすぎる面もあって、自分の気持ちや思いを表面に出すことが苦手。
そんな彼が、今日は今一つ表情が冴えないのです。
確かに、普段も疲れているときなどには授業には集中できないときもあるので、
初めはいつもの「お疲れモード」なのかな、と思っていました。
ところが、授業を進めていくと、授業の所々で一生懸命メモを取っています。
「お疲れモード」のときには、自発的にメモを取ろうとする姿はほとんど見られません。
ずっと気になっていることがあって、それが頭から離れない、
「おっと、ダメだダメだ、ちゃんと授業を聞かなくちゃ。」
といった雰囲気がにじみ出ています。
これは変だな、と思いながら授業を進めていました。
そして、帰り際、
彼に話しかけてみました。
「今日はいつもと少し違う様子だよ。どうしたの?」
少し意外だったのですが、彼はためらう様子もなく、スッと話し始めてくれました。
彼の話によると、
学校で席替えがあったのだけれど、どうしても合わないこと同じ班になってしまった。
「なんだ、そんなことかぁ?」
と思いますか?
でも、その子供にとっては一大事だったのだと思います。
これから2か月、2学期が終了するまで、この班は変わりません。
毎日、毎日、給食やら、授業中のアクティブ・ラーニングとやらで苦手な人と顔を突き合わせなければならないのです。
これは辛い話だと思いませんか?
大人や先生の中には、
「クラス皆で、仲良く過ごしていきましょう!」
と言ったことを子どもに訴えかける人がいます。
私は、反対です。
どうしても合わない人がいる。
どうしても一緒にいたくない人がいる。
それは、ある意味当然のことではないでしょうか。
子どもたちが成長し、自我も芽生えてきます。
公立の学校ならば、なおさらですが
対人関係において、「合う」「合わない」は必然的に出てくると思います。
その素直な感情を
「君のわがままだ。」と非難することは、果たして正解なのでしょうか。
もちろん、子ども自身も、これからまだまだ精神的にも成長しなければならないとは思います。
でも、同時に、この子にとって合わない子は徹頭徹尾「合わない」のです。
ですから、私は、こういう悩みを抱いている子どもに対して、
「無理して仲良くしなくて良いからね。」と言います。
決して「その、苦手な子の良いところも探してみなよ。」等とは言いません。
だって、そんな言葉、彼にとって何の助けにもなりません。
辛い思いをしている子に対して、
「君は正直な気持ちを抱いているだけなんだよ。」
「苦手なこと仲良くできないという君が悪いのではないよ。」
と伝えてあげることが大切なのではないかと思います。
もちろん、大人になるにつれて
人間関係を維持するためには、自分の感情を少し抑えて、相手の気持ちを考えることも必要になってくると思います。
でも、子どもに対しては、その前に、
「君が正直に感じたことは決して間違っていないんだよ。」
と、その子を肯定してあげることこそが大切だと思います。
「自分は間違っていないんだ。」
と正しく自信を持たせることができなければ、
他人に優しい気持ちを持つこともできません。
小中学生くらいの子どもたちには、
まず、正しく自信を持たせてあげたいです。
正しく自信を持った上で、
自分にとっての課題、とか
自分が反省して直すべきところ、
といったことをお母さんの助けを借りながら
自分の長所短所を考える時間を与えてあげたいです。