遅刻してしまうときもあります
塾の授業に遅刻してしまうときって、ありますよね。
部活動が大会前で延長したり、
車で送ってもらうときに、道が混んでいたり、
自転車の鍵が見つからなかったり、
遅れたくなくても、そうなってしまうときはあると思います。
遅刻してきた子どもに「何で遅刻したんだ!」
と怒鳴りつけるのも、一瞬ためらってしまいます。
色々な事情がありますから。
でも、どうしても腑に落ちないときがあります。
遅刻の理由と、遅れてきたときの子どもの態度で私の中の評価が分かれてしまうのです。
子どもを観察するのが仕事ですから、どうしてもじっくりと見てしまうんです。
そして、その時々の子どもの様子から、
「子どものキャラクター」や「親のしつけ方」を読み取ってしまいます。
とりわけ、中学生になると本人の精神面での成熟もある一方で、親の影響もまだまだ大きいので、とても観察しがいがあります。
必死に弁明する姿がかわいらしい
息を切らしながら、必死の形相で教室に駆け込んでくる子ども。
「先生に怒られる!!」と恐怖に怯えているのでしょうか。
私の顔を見るなり、
「あのね先生、聞いて。余裕をもって家を出ようとしたのに、家の鍵がいつもの場所になかったの。仕事中のお母さんの携帯に電話したら、出てくれなくて、どうしようと思って、家中探してたの。そうしたら、お兄ちゃんが高校から帰ってきて、鍵が必要なくなったから、猛ダッシュで走ってきたの!」
と、いつ息継ぎをしているのか分からないようなスピードで説明してくれます。
遅刻は良くないことですが、子どもの必死さは伝わってきます。
思わず、笑ってしまいそうになります。
恐らく、お母さんが日頃から「遅刻は良くないことだ。」と子どもに言い聞かせているのだろうな、と感じます。
だからといって、無条件にゆるしてあげることには躊躇します。
だって、私が簡単にゆるしたら、子どもは混乱しますからね。
お母さんの教育効果が台無しになってしまうかもしれません。
「どうしようもないときもあると思うけど、できるだけ遅刻はしないようにね。」
「あと、遅刻しそうになったら、必ず塾に連絡してね。単に遅刻しているのか、塾にくる途中で事故にあったりしたのかが先生には分からないから。」
といった注意になりがちです。
形だけの「遅れてすみません」
一方で、何とも複雑な気持ちになるのが、
半ば無表情で「遅れてすみません。」
と、私の顔も見ないで教室に入ってきて、何事もなかったかのように座る子ども。
別に私に謝って欲しい、などという気持ちではないのです。
ある意味、機械的に「遅れてすみません」とだけ口にしたら事足りると思っているのではないの?と感じる誠意のなさに、モヤモヤを感じてしまうのです。
謝っているのだから良いでしょ?
子どもが謝っているのだから、それで良いじゃないか、と感じられる方もいると思いますが、私はそこにいわかんを感じてしまいます。
子どもの心は真っ白から始まります
感情のこもっていない「遅れてすみません」を口にする子どもは、そのような行動を誰に教わったのでしょうか?
100%ではないと思いますが、多くはお母さんからではないか、と考えています。
いえ、お母さんが「感情を出さずに機械的にごめんなさいと言えばいいんだよ。」なんて子どもに指図しているとは言いません。そうではなくて、お母さんは、「遅刻したらあやまりなさい」と伝えているはずです。
本当の目的を理解させる
では、何が良くなかったのかというと、
「ごめんなさいと、言いなさい」という指示で終っていることなのではないかと思います。
「言いなさい」、「謝りなさい」だけの指示では、子どもはその謝罪の本当の意味を理解することができません。
何で「すみません」と云わなければならないか、そして何に対して謝るべきなのかということを子どもに理解させないと、謝ることの意味を理解することができません。
とにかく「すみません」と言ったらOKなのだ、と子どもたちは曲解します。
その結果、私のようなおじさんがカチンとくるような謝りかたをするようになるのではないか、と考えています。
社会に出たら大切なことです
149teacherの言っていることはややこし過ぎる。謝ったんだから良いじゃない!という気持ちも分からなくはないですが、もう少し聞いて下さい。
子どもはいずれ社会に出ます。
それこそ色々な先輩、上司、顧客に関わります。
そのときに、自分はそんなつもりが無かったのに、あらぬ誤解を招いてドリブルになった、なんてシーンがあったら辛いでしょ?
そういう不幸を招かないためにも、「相手の立場に立って考えてみる」、「自分の行為が誤解を招いていないか考える」能力が必要なのです。
子どものときからそういうトレーニングは積んでおく必要があると思います。
「忖度だ!」と思われる方もおられるかも知れませんが、私のお話したいのは、「他者に対する思いやり」と「自分の言葉に対する責任」についてです。
「思いやり」や「責任」は社会に出る前に身に付けておくべきだと思うのです。
そして、そのトレーニングをするのは、子どものときに限ります。