こんにちは、149teacherです。
臨時休校が決定しました
本日、私の勤務する塾では、明日(3月3日)から15日までの臨時休校が決定されました。
子どものためにできるだけ教室を開けていたい、という塾長にとっては苦渋の選択だったと思います。
塾長とも話したのですが、本当ならば行き場のない子どもたちを「学童保育」ではないですが昼間の間教室を開放して預かってしまおうか、とも考えたのですが、万が一にも私たちの塾が感染源になってしまった場合のリスクを考えての判断です。
昨日、3月12日に公立高校の入試を控える中学3年生の授業を行いました。
授業に先立って、ある保護者の方から「コロナだけではなく、ちょっとしてことで体調不良になってしまうかも知れないので、先生を含めて、出席者全員にマスクの着用を強制できないでしょうか?」といった悲痛なメールも届きました。
クレーム、というニュアンスではないのです。心から我が子の体調を心配しておられる気持ちがメールの文面からひしひしと伝わってきました。
また、別の保護者の方からは、「昨日の授業で、子どもにマスクを着用させてなくて本当に申し訳ございませんでした。次からは気を付けます。」というメールも頂きました。
お子さんが、帰宅してから「ほかの子はみんなマスクを着けていた!」とお母さんに八つ当たりしたのかも知れません。
何とも言えない苦しい気持ちになってしまいます。
11年前のことを覚えておられますか?
2009年、新型インフルエンザが猛威を振るい、兵庫と大阪では今回と同じように休校措置を取りました。私の勤める塾でも、1週間教室を閉鎖して、ことの推移を見守っていました。
全く同じ状況ですよね。
このときは、ゴールデンウィークも過ぎてしまっていたので、塾では夏期休暇を短縮して補講を行いました。
で、思い出したのが、
「私、新型にかかったのよ!」
教室の閉鎖を経て、授業を再開したある日、ある生徒が
「先生、私、新型にかかってしまったのよ!だからもう大丈夫!」
といってケラケラと笑っていました。
「なるほどなぁ。」と思いましたね。
1回かかってしまえば、免疫は備わっているはず。
確かに「新型インフルエンザにかかってしまった」と言えば、
周囲の人は一瞬引いてしまうでしょう。
でも、この子の頼もしいところは、
「1回かかってしまったから、もう私は無敵なの!」
さすがですよね。
早晩収束するはずです
ド素人の私ですから、今回のCOVID-19に、人類がどの程度対応できるのかは分かりません。
でも、人類の英知を集めた対策を講じれば、ウイルスを封じ込めたり特効薬を開発したりすることはできるのではないかと思っています。
それよりも気になってしまうのが、「買いだめ」「買占め」です
今日は私はお休みでしたので、妻と一緒に近所のスーパーに買い物に行きました。
午前10時くらいだったのですが、今までに見たこともない会計の列…。
皆、大人しく列に並んでおられて、これといったトラブルはなかったのですが、失礼ながら皆さんの買い物かごの中をチラチラ見ると、カップ麺やレトルト食品などの比較的日持ちする直品を多く入れている方が多かったように思います。
スーパーの後で、すぐ近くのドラッグストアに行きました(焼酎を割る炭酸水が先ほどのスーパーで少し値段が高かったので)が、トイレットペーパーやティッシュペーパーの在庫が全くない状態でした。
陳列されてなかったらあせりますよね。これが不必要な購買意欲を掻き立てているのは間違いありません。
やはり私たち、大人がもう少し冷静にならなければならないと思います。
美しい日本人の姿
1995年の阪神淡路大震災
2001年の東日本大震災
私たちは未曽有の天災を経験してきました。
そのたびに喧伝されるのが「日本人のモラルの高さ」でした。
私も塾で子どもたちによく話をします。
阪神淡路大震災で被災した神戸の街の電気屋さん。
近所の人が地震の後に大挙して押し寄せたそうです。
「ラジオを聞きたいから乾電池を譲ってくれ。」と、
でも、家がぐちゃぐちゃになってしまったので手持ちのお金がないんだ、と言うと店主さんは
「お金なんか後でええから、必要なだけ電池、持って行き!」と電池を皆に分け与えました。
後日、状況が少し落ち着いてきたときに、その時のお客さんが三々五々お店に姿を見せられました。
「大将、あのときはありがとうな!おかげてとっても助かったわ。あの時払えんかったお金を、今日は支払いに来たんや。」
中にはついでに、お店の商品を買ってくれた人もいたそうです。
当時、私は松下電器(現:パナソニック)に在職していて、神戸の長田区に被災支援に送られました。そこで聞いた話ですから信ぴょう性はとてつもなく高いはずです。
こういう姿を私たちは持っているはずです。
わが身に降りかかると…
振り返って、今回のコロナ騒動を見てみると、
局地的な災害に対して、多くの日本人は積極的に救いの手を差し伸べようとする傾向が強いです。
でも、一方で騒動がわが身に降りかかってきたときには、とてつもなく「利己的」な方向に動いてしまうようです。
分かります。家族を守りたい、という気持ちは何物にも変え難いと思います。
でも、その愛情が家族にだけ向かってしまうことが少し悲しいです。
隣の家の高齢者夫婦が買い物に困っている、というような状況を解決することが
今の私たちに必要なのではないでしょうか。